BEGIN:VCALENDAR
VERSION:2.0
PRODID:-//ペキンタウン - ECPv6.5.1.3//NONSGML v1.0//EN
CALSCALE:GREGORIAN
METHOD:PUBLISH
X-WR-CALNAME:ペキンタウン
X-ORIGINAL-URL:https://bjtown.net
X-WR-CALDESC:ペキンタウン のイベント
REFRESH-INTERVAL;VALUE=DURATION:PT1H
X-Robots-Tag:noindex
X-PUBLISHED-TTL:PT1H
BEGIN:VTIMEZONE
TZID:Asia/Shanghai
BEGIN:STANDARD
TZOFFSETFROM:+0800
TZOFFSETTO:+0800
TZNAME:CST
DTSTART:20160101T000000
END:STANDARD
END:VTIMEZONE
BEGIN:VEVENT
DTSTART;TZID=Asia/Shanghai:20160306T153000
DTEND;TZID=Asia/Shanghai:20160306T200000
DTSTAMP:20260711T155003
CREATED:20160227T053507Z
LAST-MODIFIED:20160227T053507Z
UID:284-1457278200-1457294400@bjtown.net
SUMMARY:日中歴史カフェ（第210回北京日本人学術交流会）
DESCRIPTION:第210回北京日本人学術交流会においては、「第五福竜丸のビキニ被曝についての日中における記憶の差異とマーシャル諸島島民の現在」というテーマで日中歴史カフェが行われます。映像を交えて日中の歴史などを考えていくカフェで最初から必ずしも専門的な知識が、必要なわけではありません。 \n2016年3月1日は、62回目のビキニデーです。\n1954年3月1日、日本のマグロ漁船、第五福竜丸が、アメリカの水爆実験によってビキニ環礁で被曝して62年がたとうとしています。\nその記憶は、日本では忘却がすすんでいるものの、まだ保持はされています。\n一方、中国ではその記憶は、ほぼ消滅している状況です。\nまた、日本で第五福竜丸に注意した人は、いましたが、アメリカの水爆実験の実験場になったマーシャル諸島の人たちに注意を払った人は、非常に少なかったといえます。\n日中での第五福竜丸の記憶の違いを考えるとともに、水爆実験の実験場となったマーシャル諸島の人々の現在も考えます。\nご関心ある方はご参加いただければ、幸いです。 \n2016年3月4日(金曜)までに以下のフォームにおいただければ幸いです。 \nhttps://legacy.creativesurvey.com/reply/4098064c17c433903c3db8b3ed1e7a \nどうぞよろしくお願いします。 \n◎第210回北京日本人学術交流会\n◎日時；2016年3月6日(日曜)午後3時開場、3時半開始報告、質疑応答含めて午後8時ごろ終了予定。\n◎場所；亮馬橋幸福ビル中華料理店京味菜の一室(くわしくは申し込んでくれた方にお知らせします。)\n◎報告者；山口直樹氏(北京日本人学術交流会代表)\n◎テーマ；日中歴史カフェ「第五福竜丸のビキニ被曝についての日中における記憶の差異とマーシャル諸島島民の現在」\n◎参加費；運営費、資料代など\n飲み物(ビールやソフトドリンク)や中華料理が用意されます。社会人(企業派遣留学生含む)200元；留学生、学生；100元(運営費、資料代、食事代など)\n◎言語；主に日本語(部分的に中国語) \n(要旨)\n2016年3月1日は、62回目のビキニデーである。\n1954年3月1日に日本のマグロ漁船、第五福竜丸が、アメリカの水爆実験によってビキニ環礁で被曝して62年がたとうとしている。\nその記憶は、日本では忘却がすすんでいるものの、まだ保持はされており完全に忘却されているわけではない。\n一方、中国ではその記憶は、ほぼ消滅している状況であり、研究者レベルの人でもこの出来事を知らないという状況が生じている。\nまた、日本で第五福竜丸に注意した人は、いたが、アメリカの水爆実験の実験場になったマーシャル諸島の人たちに注意を払った人は、非常に少なかったし、またマーシャル諸島と日本が歴史的にどういう関係にあるかを考えた人も非常に少なかった。\nここでは、日中での第五福竜丸のビキニ被曝の記憶の違いを考えるとともに、日本とマーシャル諸島の歴史的な関係を探り、水爆実験の実験場となったマーシャル諸島の人々の現在も考える。\n関心ある方はご参加いただければ、幸いである。
URL:https://bjtown.net/event/%e6%97%a5%e4%b8%ad%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%a7%ef%bc%88%e7%ac%ac210%e5%9b%9e%e5%8c%97%e4%ba%ac%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e5%ad%a6%e8%a1%93%e4%ba%a4%e6%b5%81%e4%bc%9a%ef%bc%89/
LOCATION:亮馬橋幸福ビル中華料理店京味菜の一室
CATEGORIES:学術交流会
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
DTSTART;TZID=Asia/Shanghai:20160227T150000
DTEND;TZID=Asia/Shanghai:20160227T200000
DTSTAMP:20260711T155003
CREATED:20160218T141254Z
LAST-MODIFIED:20160222T234836Z
UID:174-1456585200-1456603200@bjtown.net
SUMMARY:仏教音楽について考える会
DESCRIPTION:第209回北京日本人学術交流会では、日本学術振興会特別研究員として北京に滞在し、中央音楽学院などで仏教音楽の研究をされている新堀歓乃氏に「近現代の日中両国にみる「仏教音楽」の成立と展開——伝統文化の保存・継承・変容を考える」というテーマでお話しいただきます。「仏教音楽」とはなんであり、どのように成立し、展開してきたのか。それを日中両国について比較して報告いただく予定です。\n新堀氏は、『近代仏教教団とご詠歌』(勉誠出版2013年)という本も出版されていますが、参加者は、普段なかなか聞くことのできない豊饒な仏教音楽の世界をかいまみることができるでしょう。ご関心のある方は2月25日(木曜)深夜までに以下の申込フォームまでお申し込みください。\n\nhttps://legacy.creativesurvey.com/reply/53a4fc180186960b55a6e95ef2ba9e  \n◎第209回北京日本人学術交流会\n◎日時:2016年2月27日(土曜)午後2時半開場、3時開始報告、質疑応答含めて午後8時ごろ終了予定。\n◎場所:亮馬橋幸福ビル中華料理店京味菜の一室(くわしくは申し込んでくれた方にお知らせします。)\n◎報告者:新堀歓乃氏(日本学術振興会)\n◎テーマ:近現代の日中両国にみる「仏教音楽」の成立と展開——伝統文化の保存・継承・変容を考える\n◎参加費:運営費、資料代など\n飲み物(ビールやソフトドリンク)や中華料理が用意されます。社会人(企業派遣留学生含む)200元；留学生、学生；100元(運営費、資料代、食事代など)\n◎言語；主に日本語(部分的に中国語)  \n【要旨】\n「仏教音楽」というと「寺院に音楽があるのか」と疑問に思われる方も多いかもしれないが、日中両国を含めた仏教を伝える諸国では、仏教の儀式や仏教的な習俗のなかに実に豊かな音の文化が広がっている。このような仏教に関わる音文化はいつ、いかにして「仏教音楽」と呼ばれるようになったのか。本報告では、日中両国の「仏教音楽」という概念が成立した過程を比較することを通じて、日中両国の宗教を取り巻く社会的背景の違い、伝統文化の保存継承に対する政策の違いを考える。\n日本では、声明（しょうみょう）という僧侶が仏教儀礼で唱える声楽のほか、僧侶以外の信者が葬儀や巡礼などで唱えるご詠歌など、仏教に関わる様々な音文化を「仏教音楽」と総称する。ただし、こうした音文化を日本音楽の一種目と捉えるようになったのは、近代以降のことである。20世紀初頭に音楽学者が声明の研究を始めると、声明を日本音楽の一種目とみなす音楽観が定着していった。そして、戦後の1960年代になると、たとえば、祈りの対象として寺院で祀っていた仏像を美術品として博物館で展示し始めたように、祈りの行為として唱えていた声明が劇場等で鑑賞される「仏教音楽」となった。\n一方、中国では「仏教音楽」を、仏教の伝播した経路によって漢伝・南伝・蔵伝の三種類に分けることが一般的である。1950年代に音楽学者が漢伝仏教寺院に伝わる音楽を「発見」すると、その音楽は中国文化の「生きた化石」として評されるようになった。そして、1980年代に仏教音楽団が結成されると、「仏教音楽」は国内外の音楽ホールで上演され始め、寺院という閉じた空間から一般社会へと公開されるに至った。\n日中両国の「仏教音楽」が市民権を得ることができたのは、音楽学者がそれを自国の伝統音楽とみなして研究を始めたことに契機がある。また、音楽学者が仏教音楽の舞台化を後押しした点も両国に共通する。ただし、たとえば舞台化による仏教音楽の変容を両国間で比較してみると、音楽の伝統に向き合う伝承者・研究者の姿勢や、伝統文化の保存継承に対する国家の政策の違いが理解できる。\nこんにち、ユネスコ無形文化遺産への登録など、音楽を含めた伝統芸能の保存継承に関する議論が高まるなか、古い様式の保持に固執するあまり生きた伝統のダイナミズムを抑制してしまうことに警鐘を鳴らす日本の研究者がいる一方、中国では革新的な変容のなかで古い様式が失われていくことを嘆く声もよく聞かれる。本報告では、仏教音楽を題材に映像資料も参考にしながら、フロアの皆さんと伝統文化の今後を問い直す議論を交わすことができれば幸いである。
URL:https://bjtown.net/event/%e4%bb%8f%e6%95%99%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e4%bc%9a/
LOCATION:京味菜\, 北京市朝阳区东三环北路3号\, China
CATEGORIES:学術交流会
ORGANIZER;CN="%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%AD%A6%E8%A1%93%E4%BA%A4%E6%B5%81%E4%BC%9A %E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E6%B0%8F":MAILTO:ngodzilla2185@gmail.com
END:VEVENT
BEGIN:VEVENT
DTSTART;TZID=Asia/Shanghai:20160131T150000
DTEND;TZID=Asia/Shanghai:20160131T200000
DTSTAMP:20260711T155003
CREATED:20160212T174251Z
LAST-MODIFIED:20160222T234815Z
UID:18-1454252400-1454270400@bjtown.net
SUMMARY:満鉄中央試験所の歴史を考える会
DESCRIPTION:第208回北京日本人学術交流会においては、学術交流会代表の山口によって満鉄(南満州鉄道株式会社)のなかにあった科学研究所である満鉄中央試験所についての歴史が、これまでの空白部分も含め一次資料に基づいて報告されます。これまで満鉄調査部については、かなりの関心を集めてきましたが、試験研究機関である満鉄中央試験所については、まだ謎も多いですので貴重な機会となるかと思います。「満洲」の化学工業史を理解するのには、この研究所の歴史の理解が、不可欠といえます。経済史の分野でも研究が進みつつありますが、植民地科学史の視点から、満鉄中央試験所について考える試みを行います。\n関心のある方は、ご参加いただければ幸いです。  \n参加を希望される方は以下のフォームに1月29日(金曜)深夜までにお申し込みください。  \nhttps://legacy.creativesurvey.com/reply/84618d628d8f119376f05f28c1c7e9  \nよろしくお願いいたします。  \n◎第208回北京日本人学術交流会\n◎日時；2016年1月31日(日曜)午後2時半開場午後3時開始、報告、質疑応答含めて\n午後8時ごろ終了予定。\n◎場所；亮馬橋幸福ビルB座一階、中華料理店、京味菜の一室。\n◎テーマ；「満鉄中央試験所の歴史を考える」\n◎報告者；山口直樹氏(北京日本人学術交流会代表)\n◎参加費\n飲み物(ビールやソフトドリンク)や中華料理が用意されます。社会人(企業派遣留学生含む)200元；留学生、学生；100元(運営費、資料代、食事代など)\n◎言語；主に日本語(部分的に中国語)  \n(要旨)\n満鉄中央試験所は、1907年、関東都督府中央試験所として成立し、その後、1910年に満鉄の中に移管され満鉄中央試験所となった。\n当初は、衛生や生物関連の研究を行う小規模な試験研究機関だったが、何度かの組織改革を繰り返し、やがて東アジア最大規模の研究開発機関となる。\nとりわけ「満洲」の化学工業史を考えるときその歴史の理解なくして、考えることができないというほどに重要な研究機関である。\n先行研究としては、先駆的になされたもの(杉田望著『満鉄中央試験所』(1990講談社))が存在し、経済史の分野(峰毅氏『中国に継承された「満州国」の産業-化学工業を中心に見た継承の実態』(御茶ノ水書房2009)など)からも光があてられてきている。また当事者たちの回想も存在する。中国側からの研究(梁波≪技術与帝国主義≫(2005))に加え、当時の一次資料に依拠しつつ植民地科学史の視点からその歴史を考察することを試みる。日中の科学技術交流を考えるときにも重要なケーススタディであるといえるが、まだ十分に満鉄中央試験所の歴史は知られているとは言い難い。日中関係に関心を持つ多くの人々と有意義な共同討論ができれば、幸いである。\n報告は以下のような内容で行われる予定である。  \nはじめに\n1、 満鉄中央試験所の成立  \n2、 満鉄中央試験所の初期設立理念  \n3、 「満洲」における研究・教育機関における満鉄中央試験所の位置づけ  \n4、満鉄中央試験所初代所長、慶松勝左衛門の中国観\n5、「満洲」における試験研究機関の予算構造―満鉄中央試験所の位置づけ\n6、大調査部構想のなかの満鉄中央試験所\n7、満鉄中央試験所、最後の所長、丸沢常哉\n8、満鉄中央試験所は、いかにして大連化学物理研究所となっていったか\nおわりに―満鉄中央試験所の歴史が教えること\n(以上)
URL:https://bjtown.net/event/%e6%ba%80%e9%89%84%e4%b8%ad%e5%a4%ae%e8%a9%a6%e9%a8%93%e6%89%80%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%82%92%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e4%bc%9a/
LOCATION:京味菜\, 北京市朝阳区东三环北路3号\, China
CATEGORIES:学術交流会
ORGANIZER;CN="%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%AD%A6%E8%A1%93%E4%BA%A4%E6%B5%81%E4%BC%9A %E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E6%B0%8F":MAILTO:ngodzilla2185@gmail.com
END:VEVENT
END:VCALENDAR