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映画監督、本多猪四郎の仕事を中国とのかかわりから再考する@北京日本人学術交流会
2016年7月24日 @ 15:30 - 20:00
RMB100 – RMB200第232回北京日本人学術交流会においては、「映画監督、本多猪四郎の仕事を中国とのかかわりから再考する」というテーマで報告が行われます。
2016年7月29日(金曜)に12年ぶりの日本のゴジラ映画、シン・ゴジラが公開されます。このゴジラシリーズは1954年に第一作が公開されて以来、62年にわたって継続されている稀有のシリーズとなっています。2014年に公開されたハリウッド版ゴジラは周知のように世界的な大ヒットとなり、中国におけるゴジラの知名度を高めました。
そのハリウッド版ゴジラにでてくる日本の化学者の名前は、芹沢猪四郎でした。
これは、監督のエドワーズの本多猪四郎に対するリスペクトをあらわしているといってよいでしょう。
ゴジラをはじめとする日本における怪獣映画という新しい独特の分野を切り開いた映画監督が、本多猪四郎(1911~1993)という映画監督でした。本多は、これまでは、特撮監督の円谷英二氏の影に隠れてあまり言及されることがなかったのですが、近年の研究によりその貢献の大きさと仕事の偉大さが明らかになってきています。本多猪四郎は、黒澤明や宮崎駿に匹敵する日本が世界に誇る映画監督であるという声とともにより本格的な本多猪四郎研究が始まろうとしています。
本多猪四郎の名前は、世界的なものであり、世界の映画人がリスペクトしていますが、なぜか中国ではほとんど知られていません。これは親友の映画監督であった黒澤明とは対照的といえるものです。しかし、その中国にこそ、本多猪四郎の映像作品の原点があるともいえます。本多氏の三度にわたる中国での戦争経験が与えた影響は、多大なものがあります。この報告は、このような中国とのかかわりから世界的にもまれにみる日本独特の文化である特撮映画を多数生みだした本多猪四郎監督の仕事を考えようとする試みです。あまり知られていない貴重映像などを共有した上で日中で共同討論が行われます。
コメンテーターには、日本の特撮作品に詳しい中国人ゲスト、劉波さんをお招きします。
関心のある方は、ご参加いただければ幸いです。
みなさんのご参加を心よりお待ちしています。
参加を希望される方は、7月22日(金曜)の深夜までにお申し込み下さい。
どうぞよろしくお願いいたします。
◎第232回北京日本人学術交流会
◎日時:2016年7月24日(日曜)午後3時開場、午後3時半開始、報告、質疑応答、食事含め午後7時半から8時頃に終了予定。
◎場所:亮馬橋幸福ビルB座中華料理店京味菜の一室(くわしくは参加申し込みしてくださった方にお知らせします。)
◎テーマ;「映画監督、本多猪四郎の仕事を中国とのかかわりから再考する」
◎報告者:山口直樹(北京日本人学術交流会代表)
◎ゲストコメンテーター;劉波氏(中国国営企業勤務)
◎参加費:運営費、資料代、食事代など
飲み物や中華料理が用意されます。社会人(企業派遣留学生含む):200元、学生100元
◎言語:主に日本語
◎報告要旨
2016年7月29日(金曜)に12年ぶりの日本のゴジラ映画、シン・ゴジラが公開される。このゴジラシリーズは1954年に第一作が公開されて以来、62年にわたって継続されている稀有のシリーズとなっている。2014年に公開されたハリウッド版ゴジラは周知のように世界的な大ヒットとなり、中国におけるゴジラの知名度を高めた。
そのハリウッド版ゴジラにでてくる日本の化学者の名前は、芹沢猪四郎であった。
これは、監督のエドワーズの本多猪四郎に対するリスペクトをあらわしているといってよいものである。
欧米の映画人において本多氏の仕事は、高く評価されている。たとえば、ゴジラ研究の英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語文献においては、必ず本多氏のことが、言及されており、高い評価が与えられている。しかし、それに対して日本国内では、本多の仕事は、その貢献の大きさの割には、それほど高くは評価されてきてはいない。
これはなぜなのだろうか。
また、中国文学者の武田泰淳は、敗戦を上海で迎えているが(「モスラ」の原作者、堀田善衛もまた上海で敗戦を迎えた。)、ゴジラについての小説「ゴジラの来る夜」(1959)を書きそこで自らの中国における従軍経験についても述べていた。ゴジラを扱った小説の中で中国での戦争経験が述べられていたのである。
そして、実は武田泰淳と同じく中国で戦争経験をしていたのが、本多猪四郎であった。
本多は、三度にわたって中国に兵士として動員され、敗戦を中国で迎えていた。
この中国における戦争経験は、本多の監督デビューを遅らせるが、同時に本多に大きな影響をも与えることになった。当時の戦地だった中国からの本多の手紙や中国での日記を読み解く作業も始まっていると聞く。
一方、猪俣健司は、論考「南洋諸島とインファント島―帝国日本の南洋航空路とモスラの映像詩学」において「ゴジラ映画とモスラなど、戦後の特撮怪獣映画には、「南の島」は数多く登場するのだが、その一方で(日本以外の)「東洋」あるいは「中国」がほとんど描かれていない。」という指摘を行った。たしかに本多はじめゴジラ映画製作スタッフのなかには中国での戦争を経験したものがいたにもかかわらず、戦後の特撮怪獣映画には、中国は、ほとんど描かれていない。これはなぜだろうか。
また、一方、中国においても日本の特撮怪獣映画は、一部の例外(テレビ放送された特撮であるウルトラマンや恐竜戦隊コセイドンなどは、中国において知名度が高い。)を除いてあまり紹介されておらず、多くの中国人にとって疎遠なものとなってきた。これは鉄腕アトムやドラえもんなどの日本のアニメが現在の中国でもっている位置とは対照的なものがある。
先に本多作品が海外で評価が高いことを述べたが、本多作品をよく観察してみると物語において科学者が重要な役割を演じていることに気が付く。『ゴジラ』(1954)に代表される古生物学の山根博士や化学者の芹沢博士がそうだが、本多作品の中の科学者像から本多氏の科学観を考える。
また、本多猪四郎といえばゴジラというイメージが定着しているが、本多作品には、怪獣は出てこないが、現在でも秀逸とおもわれる作品群が多数、存在する。たとえば『ガス人間第一号』『美女と液体人間』『妖星ゴラス』『マタンゴ』『地球防衛軍』『夢』といった作品群がそうである。ゴジラ映画をはじめとする特撮怪獣映画に対してこれらを本多作品における非特撮怪獣映画とよぶなら本多作品における特撮怪獣映画と非特撮怪獣映画に同じ物語の構造が、存在しているとおもわれる。実際の映像を見ながら物語の構造の共通性を確認し、本多猪四郎が、一貫して訴えたかったテーマはなんだったかということを参加者のみなさんと考えたい。日本と中国における特撮映画あるいは特撮番組の本格的交流はまだまだこれからである。
以上のような問題を以下のような手順で報告がなされる予定である。
関心がある方は、ご参加いただければ幸いである。
1、本多猪四郎の生い立ちと経歴
2、本多猪四郎の中国での戦争経験
3、本多猪四郎の出発点としてのドキュメンタリー映画―『日本産業地理体系伊勢志摩』(1949)をめぐって
4、『ゴジラ』(1954)の誕生と本多猪四郎の貢献
5、ゴジラ映画における豊饒な南洋表象と捨象される中国表象
6、本多作品における科学者像と科学観
7、本多作品における物語の構造の共通性―特撮怪獣映画と非特撮怪獣映画の比較
8、おわりに―日中文化交流のなかの特撮映画あるいは特撮番組

