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日本の部落解放運動とアジア太平洋戦争@北京日本人学術交流会

2017年11月12日 @ 16:00 - 20:00

社会人200元、学生100元

第302回北京日本人学術交流会においては、「日本の部落解放運動とアジア太平洋戦争ーアジアの民衆の視角から部落解放運動の指導者,西光万吉の思想を再考する」という報告がなされます。日本の部落解放運動の歴史を中国大陸にいる日本人がはじめて総括しようとする試みであり,東アジア民衆史を考えるとき重要なものとなるでしょう。
日本社会には様々な差別がありますが,最も見えにくく日本独特で,現在も存続している差別に部落差別があります。(日本の関西地方を中心に同和教肓が行われていますが、この「同和」とはどのような意味でしょうか。)部落差別を同情によってではなく自らの手によって部落差別からの解放をかちとろうとする運動である水平運動がはじまったのは,1922年のことです。
1922年3月3日に京都で発っせられた水平社宣言は日本における最初の人権宜言といわれることも少なくありません。
 しかし水平社は、「人生の熱と光」を「願求礼賛」し「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言した水平社宣言から約17年後、1938年11月の水平社第15回大会では、「日本民族の崇高なる使命として東亜共同体建設の雄大なる偉業が樹立されんとするの秋、挙国一致の完璧を期し国家総力の発揚に努め、以て天業翼賛の誠をすることは融和報国の赤誠に燃ゆる吾等の本懐とする処である。」と宣言していました。また金静美の研究によれば、第14回大会までは、荊冠旗が掲げられていたが、1938年11月の第15回大会では、壇上には荊冠旗ではなく「ヒノマル」が掲げられ、水平歌ではなく「キミガヨ」が、歌われたといいます。
そして、第15回大会に全国水平社指導部が提出した「運動方針大綱」には「民族発展策への協力」イ日本民族の大陸発展に貢献せんことを期し国策移民の遂行に協力すること。ロ東亜永遠の平和を樹立するため」と記されていました。
全国水平社はここにおいて組織として「挙国一致」や「国家総力の発揚」を宣言し、組織として日中戦争に全面協力をするに至ったのでした。1928年にはすでに水平社は、朝鮮の被差別部落民「白丁」の解放組織、衡平社(1923年創設)との連帯も放棄していました。
人間解放をかかげる組織が戦争協カを行っていたことは部落解放運動にとっての根本問題であるといえます。
ー方,水平社宣言を起草した一人である西光万吉は、1928年3月15日に治安維持法違反で逮捕され、国家社会主義に転向を遂げる。1933年に仮出獄した後は、1935年に阪本清一郎、米田富らと『街頭新聞』を創刊、1937年には、皇国農民同盟の推薦をうけ衆議院選挙に立候補した。そして、1938年には『新生運動』を発行し高次高天原の理論を展開、アジアへの侵略戦争に日本の被差別部落民衆を扇動していました。
なぜこのような転換が生じたのか。西光万吉はその知名度に反してその思想の研究は行われてはきませんでした。「思想の科学」の転向研究においても西光万吉は扱われてはいません。そこでこの報告では西光万吉の思想的な次元にふみ込み考察を行います。

そのとき導きの糸とするのは1959年に兵庫県西脇市に生まれ1985年8月の日本航空123便墜落「事故」で亡くなる被差別部落民衆のー人、田中愛子の絶筆の詩「今、光っていたい」である。生きて故郷に帰れなかった田中愛子はその歴史意識を絶筆の詩に結晶させていたのでした。西光万吉と田中愛子の思想のかすかな差異に注目するところから日本の部落解放運動の歴史の総括へとつなげたいと思います。
ご関心のある方は、11月10日(金曜)深夜までにお申し込みください。
氏名、所属,電話番号を書いてください。

◎第301回北京日本人学術交流会
◎日時:2017年11月12日(日曜)午後3時半開場、午後4時開始、報告、質疑応答、食事、共同討論などふくめて午後八時ごろ終了予定。
◎場所:亮馬橋幸福ビルB座中華レストラン京味菜の一室(詳しくは申し込んでいただいた方にお知らせします。)
◎テーマ:「日本の部落解放運動とアジア太平洋戦争ーアジアの民衆の視角から部落解放運動の指導者,西光万吉の思想を再考する」
◎報告者:山口直樹(北京日本人学術交流会責任者)
◎参加費:資料代、運営費、食事代
社会人(企業派遣留学生含む)200元、学生100元
◎言語:主に日本語
(要旨)
日本社会には様々な差別があるが,最も見えにくく日本独特で,現在も存続している差別に部落差別がある。(日本の関西地方を中心に同和教肓が行われていますが、この「同和」とはどのような意味でしょうか。)部落差別を同情によってではなく自らの手によって部落差別からの解放をかちとろうとする運動である水平運動がはじまったのは,1922年のことであった。
1922年3月3日に京都で発っせられた水平社宣言は日本における最初の人権宜言といわれることも少なくない。
 しかし水平社は、「人生の熱と光」を「願求礼賛」し「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言した水平社宣言から約17年後、1938年11月の水平社第15回大会では、「日本民族の崇高なる使命として東亜共同体建設の雄大なる偉業が樹立されんとするの秋、挙国一致の完璧を期し国家総力の発揚に努め、以て天業翼賛の誠をすることは融和報国の赤誠に燃ゆる吾等の本懐とする処である。」と宣言していました。また金静美の研究によれば、第14回大会までは、荊冠旗が掲げられていたが、1938年11月の第15回大会では、壇上には荊冠旗ではなく「ヒノマル」が掲げられ、水平歌ではなく「キミガヨ」が、歌われたという。
そして、第15回大会に全国水平社指導部が提出した「運動方針大綱」には「民族発展策への協力」イ日本民族の大陸発展に貢献せんことを期し国策移民の遂行に協力すること。ロ
東亜永遠の平和を樹立するため」と記されていました。
全国水平社はここにおいて組織として「挙国一致」や「国家総力の発揚」を宣言し、組織として日中戦争に全面協力をするに至ったのだった。1928年にはすでに水平社は、朝鮮の被差別部落民「白丁」の解放組織、衡平社(1923年創設)との連帯も放棄していました。
ー方,水平社宣言を起草した一人である西光万吉は、1928年3月15日に治安維持法違反で逮捕され、国家社会主義に転向を遂げる。1933年に仮出獄した後は、1935年に阪本清一郎、米田富らと『街頭新聞』を創刊、1937年には、皇国農民同盟の推薦をうけ衆議院選挙に立候補した。そして、1938年には『新生運動』を発行し高次高天原の理論を展開、アジアへの侵略戦争に日本の被差別部落民衆を扇動していた。
たとえば1940年西光は、「炎天下に夢見るもの」という論考の中で日本軍の中国への空爆を全面的に支持し「日本軍が爆撃しているのは、決して支那の文化、アジアの文化ではない。それは支那をアジアの奴隷国たらしめんとする欧州の植民地文化である。したがって、若い日本の将兵たちが、生命にかけて抗日陣に投下する爆弾の響きは、ただに支那の植民地文化のみならず、全アジアの植民地文化を揺り震わせる。」と述べていた。

なぜこのような転換が生じたのか。西光万吉はその知名度に反してその思想の研究は行われてはこなかった。「思想の科学」の転向研究においても西光万吉は扱われてはいない。そこでこの報告では西光万吉の思想的な次元にふみ込み考察を行う。

そのとき導きの糸とするのは1959年に兵庫県西脇市に生まれ1985年8月の日本航空123便墜落「事故」で亡くなる被差別部落民衆のー人、田中愛子の絶筆の詩「今、光っていたい」である。生きて故郷に帰れなかった田中愛子はその歴史意識を絶筆の詩に結晶させていたのだった。西光万吉と田中愛子の思想のかすかな差異に注目するところから日本の部落解放運動の歴史の総括へとつなげたいと思う。日本の部落解放運動の歴史を中国大陸にいる日本人がはじめて総括しようとする試みであり,東アジア民衆史を考えるとき重要なものとなるはずである。多くの方々と討論をともにできれば幸いである。
以下のような構成で行われる予定である。

はじめに
1,水平社宣言と日本の部落解放運動
2,西光万吉の生いたちと思想
3,西光万吉と田中愛子の思想の差異
4,水平社宣言とべンヤミン歴史哲学テーゼ
おわりにーアジアの民衆の視点から日本の部落解放運動の歴史を総括する

詳細

日付:
2017年11月12日
時間:
16:00 - 20:00
費用:
社会人200元、学生100元
イベントカテゴリー:
イベント タグ:
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会場

亮馬橋幸福ビル中華料理店京味菜の一室

主催者

北京日本人学術交流会
メールアドレス
pngk218523@gmail.com

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