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満鉄とはなんであったか―多角的な視点から考える@北京日本人学術交流会

2017年1月22日 @ 16:00 - 20:30

社会人200元、学生100元

第263回北京日本人学術交流会では、「満鉄とはなんであったか―多角的な視点から考える」というテーマでの報告が、行われます。
日露戦争後の1906年に南満州鉄道株式会社として成立した満鉄が、戦前における日本最大の国策会社だったとはよく言われることですが、その満鉄とはなんだったのでしょうか。
 以前、北京日本人学術交流会では「満州」の工業化に大きな役割を果たした満鉄のなかの試験研究機関、満鉄中央試験所について考えてきましたが、今回、一言では論じきれない多様性と総合性をもつこの国策植民地会社をさまざまな角度から考えようとする試みです。中国側の満鉄研究や戦後日本とのつながりなども考えられる予定です。
ご関心のある方は、ご参加いただければ幸いです。
参加を希望される方は、1月20日(金曜)深夜までに以下のフォームにお申し込みください。
(なお情報は正確にお願いいたします。)

https://legacy.creativesurvey.com/reply/4139e26616549c498c35e15ba7c2c8

◎第263回北京日本人学術交流会
◎日時:2017年1月22日(日曜)午後3時半開場、午後4時開始、報告、質疑応答、食事、などふくめて午後8時ごろ終了予定。
◎場所:亮馬橋幸福ビルB座中華レストラン京味菜の一室(詳しくは申し込んでいただいた方にお知らせします。)
◎テーマ:「満鉄とはなんであったか―多角的な視点から考える」
◎報告者:山口直樹(北京日本人学術交流会責任者)
◎参加費:資料代、運営費、食事代
社会人(企業派遣留学生含む)200元、学生100元
◎言語:主に日本語

(要旨)
  日露戦争後の1906年に南満州鉄道株式会社として成立した満鉄が、戦前における日本最大の国策会社だったとはよく言われることだが、その満鉄とはなんだったのだろうか。
その問いに一言で答えることは難しい。
なぜなら満鉄は普通の会社とは違い国策会社としてきわめて多様な事業を行ってきたからである。
 初代総裁を後藤新平として出発した満鉄は1945年の敗戦とともに営業を停止するまで、調査活動を中心に鉄道経営はもちろん、鉄道周辺の都市計画、開発そしてガス、電気、炭鉱経営などのインフラや病院、ホテル、学校、映画、新聞など一つの国家といっても過言ではないほどの多岐にわたる事業を行っていた。
また「国策会社」という性格上、同時代の日本国内の政治動向とも密接な関連を持っていた。ロシアが中国東北部に敷いた線路を起点に営業を開始し、多数の中国人の従業員も勤務していた満鉄は、中国、朝鮮半島、ロシアなどの周辺地域、「満州」に利害を持つ欧米諸国そして「満州国」とのかかわりなど内外に多くの矛盾を抱えて存在していた。
満鉄創立から110年をすぎた現在、直接満鉄を知る人は、少なくなっているが、新しく見ることのできる資料などもでてきている。もちろん満鉄という巨大な存在のすべてを語ることはできないが、いくつかに焦点をしぼり満鉄の存在の意味を考えることを試みる。
多くの方と討論を共有できれば幸いである。
以下が論じられる予定である。
はじめに―植民地国策会社満鉄成立の背景
1、満鉄総裁、後藤新平の「満州」経営理念
2、満鉄総裁や理事とはどのような人たちだったのか
3、帝国日本と満鉄―鉄道帝国主義と大陸経営
4、満鉄の多角的な事業
5、欧米人が見た満鉄
6、著名な日本人たちにとっての満鉄
(1)俳優、宝田明氏の場合
(2)映画監督、山田洋次氏の場合
(3)学者、衛藤瀋吉氏の場合
(4)学者、中西準子氏の場合
7、現代中国の満鉄研究
8、戦後日本と満鉄
おわりに

詳細

日付:
2017年1月22日
時間:
16:00 - 20:30
費用:
社会人200元、学生100元
イベントカテゴリー:
イベント タグ:
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会場

亮馬橋幸福ビル中華料理店京味菜の一室

主催者

北京日本人学術交流会

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